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広島地方裁判所 平成8年(ワ)1464号 判決 2000年5月18日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

恵木尚

池上忍

津村健太郎

石口俊一

廣島敦隆

溝手康史

田上剛

風呂橋誠

被告

○○株式会社

右代表者代表取締役

佐々木尉文

被告

株式会社△△

右代表者代表取締役

佐々木照雄

右被告両名訴訟代理人弁護士

冨田武夫

新田義和

松永克彦

主文

一  被告らは原告に対し、連帯して、金一億一一一一万二二一五円及びこれに対する平成七年一〇月一日から支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の、その余を被告らの各負担とする。

四  この判決は原告の勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告に対し、連帯して一億三七〇四万八六五九円及びこれに対する平成七年一〇月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  当事者(当事者間に争いがない。)

被告○○株式会社(以下「被告○○」という。)は、調味料の製造及び販売等を業とする株式会社であり、被告株式会社△△(以下「被告△△」という。)は、被告○○と同じく調味料の製造販売等をその目的とする会社であるが、その実質は被告○○の一製造部門であり、取締役の大部分は被告○○の取締役でもあり、従業員も頻繁に流動している。また、被告△△の製品はそのすべてが被告○○に納入されている。

原告の子である甲野太郎(昭和四六年三月一三日生まれ、以下「太郎」という。)は、平成五年四月に被告○○に入社し、同年一〇月一日より被告△△に転籍され、平成七年九月三〇日まで同社の特注ソース等製造部門でソース、たれ、合せ酢(寿司店等で用いる特別注文の酢)を製造する業務に従事していた。

二  太郎の自殺(当事者間に争いがない。)

太郎は、平成七年九月三〇日、職場である被告△△の工場内で自殺(縊死)を図り、同僚によって病院に搬送されたが、同日午後一時四三分に死亡した。

三  事案の要旨

太郎の母親である原告は、太郎が自殺をするに至ったのは、被告△△における業務が過酷であり、同人が会社を辞めさせて欲しいと申し出るに至ったにもかかわらず、被告らが職場環境の改善に努めることなくこれを放置したためであると主張し、被告らの安全配慮義務違反を理由として、債務不履行(民法四一五条)及び不法行為(同法七〇九条、七一五条、七一九条)に基づき損害賠償を請求している。

四  本件の争点

1  太郎の自殺と業務との因果関係が認められるか。

2  被告らに安全配慮義務違反等の過失が存在するか。

3  損害額。

五  争点についての当事者の主張

1  争点1(自殺と業務の因果関係)について

(一) 原告の主張

(1) 過酷な作業内容

太郎が担当した業務は、作業工程において原材料を加熱処理することにより、製造現場は高温かつ多湿の状態であった。被告らは太郎の自殺後にクーラーを増設しており、このことからも職場環境が劣悪であったことが明らかである。

(2) 長時間労働

太郎は、午前四時に出社して午後九時に帰社するなど過密かつ長時間の労働が連日続いていた。とりわけ平成七年九月になると帰社時刻は、連日のように午後八時、九時台となり、労働時間はますます長時間化していた。

(3) 人員配置の不適切さ

太郎の職務内容は、老舗の料亭等の注文に応じて各種の成分・調味料を配合して注文に見合ったソース等を製造することであり、右担当業務は、顧客によってソースの成分の種類、調合具合が微妙に異なることから企業秘密に属し、被告らにとって極めて重要な業務であるとともに、その作業は、経験を積んだ数名の作業員による共同作業によって初めて処理可能なものであり、経験、技量及び知識を必要とするものであった。

にもかかわらず、平成七年四月の時点で従業員は太郎を含めても三人しか配置されず、同年五月には右従業員のうち一名が退職し、同年九月にはもう一人の従業員が他の部署に配置転換となり、経験を有する従業員は太郎一人となった。退職者等の補充として配置された職員は、いずれも特注ソース等製造部門に従事することは初めてであったため、これらの者に対する指導・教育についても太郎が担当することになったが、後任従業員は仕事の習得速度が遅く、太郎の熱心な指導教育にもかかわらずその成果が現れないままの状態が続きこのことが太郎を悩ませていた。

(4) 以上のとおり、被告△△における太郎の業務内容は過酷であった上、人員配置等に配慮がされていなかった。そのため太郎は肉体的にも精神的にも疲労困憊の状態となり、それが原因となって、遅くとも平成七年九月初めにはうつ病状態に陥り、その結果自殺に追い込まれるに至ったものである。

そして、太郎には私生活面においては何らの問題もなかったことからすると、右の過酷な業務に自殺の原因があることは明らかである。

したがって、業務と自殺との間には因果関係がある。

(二) 被告らの主張

(1) 作業内容について

太郎が従事する作業現場の気温は、外気よりも四、五度高い程度であり、特殊環境というほどのものではない。

(2) 労働時間について

太郎の就労時間は、一般的には午前六、七時台から始まり、午後四、五時台に終了することが多かった。太郎が従事していた特注ソース等製造作業は午前中で終了することも多く、就業時間中継続して作業に従事しているわけではない。とりわけ平成七年九月においては午前中で終了することが多かったのであり、太郎の労働時間が長時間化していたとの事実はない。

(3) 人員配置について

太郎の担当していた業務は、レシピと呼ばれる指示書に基づいて、原材料を調合する作業であり、特殊な経験、技量及び知識を必要とするものではない。

特注ソース等製造部門の従業員三名のうち一名が平成七年五月に退職し、同年九月に他の一名が配置転換となったけれども、直ちに後任者の発令を行っている。特に、平成七年九月からはアルバイトをさらに一名補充し、従来の三名体制から四名体制に増員した。

(4) したがって、太郎の従事した業務が過酷であるとはいえず、業務と自殺との間に因果関係があるということはできない。

2  争点2(被告らの過失の有無)について

(一) 原告の主張

被告らは、雇用主として、従業員である太郎に対し、その職務内容、勤務時間、職場環境を把握し、太郎が過酷な雇用実態によりその健康を侵害されないよう配慮すべき安全配慮義務を負っている。にもかかわらず被告らは太郎を高温、多湿状態になる作業現場に配属し、また、太郎が担当する作業は経験の必要な職員数名の共同作業が必要であるのに、太郎以外に経験のある職員を配置せず、太郎が作業しながら未経験者に対する指導・教育を行うことを余儀なくさせ、かつ、早朝からの長時間勤務に従事させるなどして、太郎の健康状態を害しそれを進行させた。そして、太郎の健康障害が進行し、うつ的状態を呈していたことを知りながら放置し、太郎から会社を辞めさせてほしいとの再三の申出を受けていたにもかかわらず、被告らはそれに対して適切な対応をしなかった。

したがって、被告らには太郎の劣悪な労働実態及び健康状態の極度の悪化を知りながらその改善措置を取らなかったことにつき過失がある。

(二) 被告らの主張

被告△△は雇用主として、被告○○は太郎に対して実質的な指導命令権を有する者として、太郎に対して安全配慮義務を負っていることは認めるが、被告らに安全配慮義務違反があったとの点は否認する。

太郎の業務内容及び職場環境は劣悪なものではなく、労働時間についても、過密かつ長時間のものではなかった。

被告らは太郎から平成七年八月八日に「疲れたので病院に行ってくる。」との報告を、同年九月一三日に「風邪をひいて体調不良である」との趣旨の報告をそれぞれ受けているが、いずれも病院から帰った後は通常に業務に従事しており、他の従業員に比べ、同人の体調が特別に異常であるとの認識はなかった。そして、被告らは右の報告を受けて、同人の負担を軽くするための応援者を派遣するなど同人の体調及び健康維持には十分な配慮をしている。また、被告らは、従業員の健康状態を把握し、健康の維持増進に努めるため、毎年、従業員の健康診断を行っており、平成七年においても、八月一八日にそれを実施したが、その健康診断の時点において、太郎の健康状態には異常はなかった。したがって、仮に、太郎がうつ的状態を呈していたとしても、被告らはそのような事実は知らなかったし、これを知る可能性もなかった。

また、太郎から会社を辞めたい旨の申出はあったけれども、この申出があったのは自殺する一週間ほど前の平成七年九月二二日のことであり、太郎より再三の申出があったわけではない。また、右申出に対して太郎の上司である小田孝広係長らが同人を励ましたり、休暇を取ることを提案したりするなど誠実に対応している。

3  争点3(損害額)について

(一) 原告の主張

(1) 太郎の逸失利益

金九五五四万八六五九円

太郎は、死亡当時二四歳の男子であり、本件事故がなければ少なくとも六七歳までの四三年間は稼働することができたものである。そして、その間の逸失利益を平成七年の賃金センサス第一巻第一表産業計学歴計大学卒男子全労働者の平均年収を基礎とし、生活費控除を三〇%として、ホフマン方式により算定すると、右金額となる。

現在の経済情勢の下において中間利息の控除率を年五分とすることは高率に過ぎ、中間利息控除の趣旨に反するものである。

生活費控除については、母である原告にとっては太郎が経済的支柱であったことを考慮すべきである。

(2) 太郎の慰謝料 金三〇〇〇万円

(3) 原告の相続

原告は太郎の前記(1)(2)の各損害を相続した。

(4) 葬儀費用 金一五〇万円

(5) 弁護士費用 金一〇〇〇万円

(6) 合計

金一億三七〇四万八六五九円

(二) 被告らの主張

(1) 過失相殺

一般に労働者は自己の健康の維持・管理に努め、異常を感じた場合には進んで医療機関に受診し、自己の疾病に関し必要な治療を受けるべき義務(自己保健義務)を負っている。

本件において、太郎がうつ状態となったことについて専門医を受診したことはない。

したがって、太郎がうつ病を発病したことについては同人にも過失が存するから被告らは過失相殺を求める。

(2) 損益相殺

本件に関しては、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付が決定し、原告に対し遺族特別支給一時金として三〇〇万円、葬祭料として五〇万〇〇二〇円が支給されている。

また、今後支給予定の遺族補償年金は年額一一二万二一〇〇円(日額七三三四円)である。そして、前払一時金の最高限度額は右日額の一〇〇〇日分に相当する金額であるから、今後支給予定の遺族補償年金は七三三万四〇〇〇円である。

右各給付分については経済的損失の補填としての意義を有しており、本件損害から控除すべきである。

第三  当裁判所の認定した前提事実

甲第六、第八号証、第一〇ないし第一二号証、第一五号証、第一六号証の1ないし5、第一七ないし第一九号証、第二二号証、第二七ないし第三〇号証、乙第一、第二号証、第三号証の1、第四ないし第六号証、第七号証の1ないし24、第九、第一一号証、第一三号証の1ないし5、第一四号証の1、2、第一五、第一八、第二〇号証、第二四号証の1、第二五号証の1ないし3、第三〇、第三一号証、第三二号証の1、2、第三三ないし第三五号証、第三八ないし第四一号証、第五一号証、第五六ないし第五八号証、第六二号証の1ないし3、第六三号証の1、2、第六四ないし第六六号証、第六七号証の1ないし16、第六九号ないし第七二号証、第七九ないし第八二号証、第八五ないし第八八号証、検証の結果、証人佐々木勝則、同伊藤賢司、同上松和洋、同小田孝広及び同湯谷紀念生の各証言並びに原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

一  太郎の身上経歴

1  太郎の生い立ち、性格

太郎は、父を甲野一郎、母を原告として、昭和四六年三月一三日に同夫婦の長男として出生し、大病もなく順調に育ってきた。太郎には姉が一人いるが、既に結婚している。父は平成三年五月一五日に脳内出血で亡くなった。

太郎はスポーツが好きであり、小学二年生のころから地域のソフトボール部に所属したり、地域のスポーツ大会に家族そろって参加するなどしていた。高校、大学ではバドミントン部に所属し高校では主将を務めて各大会で活躍していた。被告らに就職した後もバドミントンの試合に出場し、また草野球チームに所属するなどスポーツを続けていた。

太郎の性格傾向に格別の問題はなく、母親である原告は太郎を明朗快活、優しく、真面目で責任感がある子であると感じていたし、友人知人も同様であった。学生時代、被告らへの入社後を通じ、太郎が他人と対人関係上のトラブルを発生させたことはない。

2  太郎の家庭環境、交友関係

太郎の家庭は、家族そろってスポーツ大会に参加するなど家族関係は良好であり、特に家庭内における問題はなかった。また、太郎は父親が大学在学中に亡くなり、姉も結婚して県外に出たため、自分が母親である原告を支える必要があることについて自覚を持って仕事に励んでいた。

平成七年当時、太郎には結婚を約束していた女性(当時、福岡県在住)もおり、休日に太郎が訪問したり女性が来広したりして交際を続けていた。

3  太郎の日常生活、趣味

太郎は競輪やパチンコが好きで、休日や仕事帰りにそれらに興じることがあったが酒を嗜むことはあまりなかった。また、魚釣り、ドライブ、スポーツ観戦等幅広い趣味を持っていた。

4  被告○○への入社と特注ソース等製造部門への配置

太郎は、大学在学中に父親が亡くなったこともあって母親が生活している出身地の広島での就職を希望し、平成五年三月に北九州市の第一経済大学を卒業した後、同年四月一日に被告○○に入社した。

太郎は、平成五年一〇月一日に被告△△に転籍し、特注ソース等製造部門に配属された。

特注ソース等製造部門は、得意先の仕様に基づいて、ソース、たれ、ケチャップ、合せ酢等を製造する部署であり、ソース、たれ、ケチャップ等を製造する特注ソース班と合せ酢を製造する合せ酢班とから成っている。太郎は当初特注ソースを担当していたが、平成七年六月一日から合せ酢の担当に替わった。

二  被告△△の事業内容

1  概要

被告△△は、実質的には被告○○の一製造部門であり、被告○○の工場に隣接した工場(四階建て、以下「本件工場」という。)において、ソース類の製造を行っている。製造品目は、大別してソース、たれ、ケチャップ、合せ酢に分けられ、これらの製品は、お好み焼き店、寿司店等の飲食店や食品メーカー、食品流通問屋等の各得意先の仕様に基づいて製造されている。また、被告○○が汎用品を多量に製造しているのに対し、被告△△では、多品種少量の生産体制がとられている。品目数は、五〇〇種類程度であり、一品目当たりの平均生産量は約五〇リットルである。

2  製品の生産計画等

被告△△における生産計画の企画・立案は次のような手順で行われている。

(一) 毎週水曜日と金曜日の二回、被告○○の生産企画課において、生産計画案が作成される。この計画案では、HB(ハンディボトル)、ポリ袋、手詰め(一八リットル缶など)といった区分で、充填後の商品の形で製造すべき商品名が表示される。この計画案を基に週二回開催する生産会議で打合せが行われ、生産計画が決定される。この会議には、生産企画課の他、被告○○と被告△△の各製造現場の担当者が出席することになっている。

(二) 各職場では担当者が持ち帰った生産計画をもとに、実際に製造しなければならないソースの種類、数量を確認し、各職場ごとの生産計画を立てる。被告△△の製造部門である特注ソース等製造部門でも職場に設置されている釜ごとに製造するソースの種類、数量、製造順序が確認される。

(三) 製造予定の製品については、全品について予め調合指図書(以下「レシピ」という。)が作成される。これは被告○○の研究室で作成されるものであり、生産計画が決定されると、同日中にその計画に示されている種類のソース類に関するレシピが作成される。

レシピには、原材料名、配合量、製造方法、基準、殺菌温度、充填温度等の各欄があり、原材料名欄には、当該品目の製造に必要なすべての材料とその量が、製造方法欄には原材料を製造釜に投入する順序が、基準欄には糖度、酸度、塩分、pH、比重、粘度の各数値が記入されている。

(四) レシピは各製造日毎にまとめて計量室に渡され、計量室においてレシピに基づいて同室に保管されている調味料、香辛料等を計量、配合して保管する。砂糖(一袋三〇kg)、塩(一袋二五kg)、グルタミン酸ソーダ等使用数量が多いため製造現場で計量されるものを除き、調味料、香辛料等のほとんどが計量室で準備される。製造担当者は当日の製造が終了した後、翌日に製造する予定の品目の調味料、香辛料を計量室に取りに行き、製造現場で保管する。

3  製造設備について

(一) 被告△△の製造部門は本件工場四階にあり(以下「本件作業所」という。)、ソースや合せ酢製造用の釜や自動ブレンディング装置などが設置されている。ソース製造用の釜は、容量が一二〇〇リットル、七〇〇リットル、五五〇リットル、五〇〇リットル、二〇〇リットルのものが各一台合計五台あり、合せ酢用の釜は二〇〇〇リットル、一五〇〇リットル、一〇〇〇リットル、五〇〇リットル、四〇〇リットル(二台)、二〇〇リットルのものが合計七台あり、各製品の製造予定数量に応じて使い分けられる。各釜の外周は二重構造であり(これを「ジャケット」という。)、そこに蒸気を通して釜の内部を加熱する仕組みになっており、温度は自動調節ができる。釜の内部には、攪拌装置が付いており、動力で作動するようになっている。作業者は釜に原材料を投入した後、攪拌装置のスイッチを入れて攪拌を開始し、加熱温度を設定して蒸気を通せば、設定温度に到達した時点で蒸気は自動停止する仕組みとなっている。これを冷却するためには蒸気を排出した後、ジャケット部分に水を入れて充填温度まで冷却するが、水を入れないで自然冷却させる場合もある。

(二) 自動ブレンディング装置は、コンピュータで自動的に液体原料を釜に投入する機能を有しており、液体原料の保管タンク、ポンプ、流量計、開閉バルブ、ホッパー、ホース、制御盤といった設備とコンピュータ、その操作盤、端末等で構成されている。作業者が端末で製造予定の製品名と数量を入力すると、予めコンピュータに登録されているデータに基づき、当該品目、数量の製造に必要な液体原料が自動的に計量され、作業者が所定の釜にホースをセットして、架台上の操作盤でスイッチを入れると、各液体原料がタンクから必要量だけ流出し、ホッパーを通じてホースから釜の中に投入される。ただし、これを利用することができるのは、水、酢といった液体原料のみであり、砂糖、塩などの粉体原料、調味料、香辛料、ペースト状になっている野菜や果実については、作業者が測量した上で手投入する必要がある。

(三) ソース等製造後の充填作業に係る設備類は、本件工場の二、三階部分にあるパッケージ部門に設置されており、別の作業者が設備を操作してパッケージ作業を行うことになっている。なお、パッケージ作業者が釜から直接容器に充填する場合もあり、この作業は製造現場である本件作業所内で行うことになる。

4  ソース、合せ酢の製造過程等

(一) ソースの製造過程

(1) 原材料

ソースの原料は、液体原料と粉体原料等に分けられ、液体原料としては、水、酢、醤油、アルコールなどがあり、粉体原料としては、糊料、塩、砂糖、調味料(グルタミン酸ソーダ、イノシン酸等)、香辛料(シナモンなど)等があり、他に野菜(トマト、タマネギ、ニンジン等)、果実(ピーチ、リンゴ等)がある。

(2) 製造手順

① 液体原料を自動ブレンディング装置で二重釜に投入し、釜内の装置で攪拌する。

② 作業者が粉体原料を直接投入する。

③ 蒸気を通して、加熱を開始する。

④ 作業者がペースト状の野菜、果実を直接投入する。

⑤ 攪拌しながら、一定の温度まで加熱を続け、設定温度に到達したら、蒸気を止めて加熱を停止する。

⑥ 酢、アルコール等揮発性の高いものを自動ブレンディング装置で投入する。

⑦ 原材料の投入終了後、水冷却又は自然冷却を開始し、一定温度まで下げる。

⑧ 右の後、サンプルを採取して研究室に送り製品を分析する。その結果に合格すれば、製造過程は終了する。

⑨ その後、製品を移動用タンクに移して充填職場に運搬する、あるいは充填作業担当者が釜から直接充填する。

(二) 合せ酢の製造過程

(1) 原材料

合せ酢は調味酢の一種であり、液体原料として、原酢及び水、粉体原料として、砂糖、塩等があるが、この他に調味料(グルタミン酸ソーダ等)を加えることもある。

(2) 製造手順

① 原酢と水を自動ブレンディング装置で釜に投入し、自動装置で攪拌する(通常加熱は行わない。)。

② 砂糖、塩、調味料を作業者が手投入して十分攪拌する。攪拌はそのほとんどが機械で行われるが、手で攪拌しなければならない場合もある。

③ 右の後、サンプルを採取して研究室に送り製品を分析する。基準に合致していれば製造過程は終了する。

④ その後、パイプで階下の充填職場に設置しているタンクに移し替える。

5  製造作業について

各製品の製造過程については、前記のとおりであり、その作業の相当部分は機械化あるいは自動化されており、各々の製造作業自体の負担はそれほど重いものではない。ただし、これらの製造作業はそれぞれが並行して、あるいは断続的に行われる。このように製造作業自体は集中的に行われるために午前中あるいは午後の早い時間に終了することが多い。また、各製造作業が並行して行われることが多いため、作業者は同時に複数の作業を掛け持つことが少なくない。

各製造作業自体は、研究室が作成したレシピに基づいて行われるため、それほどの知識、技術及び経験を有するものではない。ただし、原材料の性質、製造方法等の違いによって、原材料の投入時期及び投入方法、加熱処理の時期についてある程度の経験が必要とされるものもある。

また、作業中は、帽子、作業服を着用し、靴底からの高さが約三〇cm、重さが左右一足で約1.8kgの長靴を履いて行われていた。

6  製造作業以外の作業

被告△△の特注ソース等製造部門では、作業員は就業時間内に右のような製造作業のほか、次のような作業(製造作業に付随するものも含む。)を行っていた。

(一) 翌日の仕込み作業

(二) 「砂糖上げ」(工場外にある砂糖袋を工場四階の本件作業所までリフト等で運び上げる作業)など原材料の準備作業

(三) 製品の充填作業など他の部署の応援

(四) 使用した釜の洗浄

(五) 清掃・後片付け

(六) 製造日報の作成

7  特注ソース等製造部門の人員体制

被告△△の人員配置の方針として、特注ソース等製造部門には、新人又は入社してそれほど年数を経ていない者を一年ないし三年の期間で配置することになっていた。

特注ソース等の製造に従事する人員は、平成七年当時、原則として、ソース、たれ、ケチャップ等を製造する特注ソースが二名、合せ酢が一名の計三名であった。平成七年当時(同年九月三〇日まで)の担当者は次のとおりである。

(一) 平成七年五月三一日以前

特注ソース部門 伊藤賢司(昭和四一年五月一八日生まれ)、甲野太郎(昭和四六年三月一三日生まれ)

合せ酢部門 渡邊康秀(昭和四五年八月一四日生まれ)

ただし、伊藤が合せ酢を、渡邊が特注ソースを担当していた時期もある。

(二) 平成七年六月一日から同年九月七日まで

特注ソース 伊藤賢司、湯谷紀念生(昭和四五年九月八日生まれ、平成七年六月五日から)

合せ酢 甲野太郎

(三) 平成七年九月八日から同月三〇日まで

特注ソース 湯谷紀念生、上松和洋(昭和四三年五月九日生まれ)

合せ酢 甲野太郎、佐々木宗信(平成七年九月二五日から)

三  被告△△における社員の労働時間、管理体制等

1  社員の労働時間等

被告△△における労働時間は一日八時間(一か月を平均して週四二時間を超えない。)であり、原則として、その始期が午前八時、その終期は午後五時、そのうち午後零時から午後一時までは休憩時間とされていた。ただし、平成七年六月二二日に平成一〇年法律第一一二号による改正前の労働基準法三六条に基づく協定が締結されているところ、それによれば、製造業務男子については、受注量が増大し生産が間に合わないといった特別の事情があるときには、一日四時間、一か月四五時間、一年三六〇時間の範囲内で時間外労働を行わせることができるとされ、特に食料品製造(調味料)の業務においては、右時間外労働の上限を一か月八〇時間、一年八四〇時間に延長することができるとされていた。また、右協定によると、製造業務男子については、右のような特別の事情があるときには、日曜日(午前七時から午後六時三〇分までの間のうち実働時間八時間)に月二回を限度として休日労働を行わせることができるとされていた。

2  労働時間の管理体制等

被告△△における社員の労働時間の管理については、平成七年当時、同被告の事務所一階の出入口付近にタイムレコーダーを設置し(ただし、平成七年九月二一日以降廃止された。)、またその横に就業時間記録用紙を備え付け、各社員が、出退社時に自己のタイムカードに打刻するとともに、自ら就業時間記録用紙に始業時刻、終業時刻、早出時間数(午前八時以前に作業した時間数)及び残業時間数(午後五時以降に作業した時間数)を三〇分単位で記載するという、自己申告制が取られていた。各社員が早出した場合には、午後五時以前に退社することが認められていた。

休憩時間は、午後零時から午後一時とされていたが、作業の状況に応じて、臨機応変に休憩を取るように指導されていた。

3  社員に対する健康対策

社員に対しては、労働安全衛生法六六条に基づき、財団法人広島県集団検診協会による年一回(毎年八月)の健康診断が行われていた。太郎も平成五年八月三日、平成六年八月二日、平成七年八月一八日にそれぞれ健康診断を受けているが、いずれも異常所見はない。

四  太郎の特注ソース等製造部門における勤務状況

1  太郎の業務内容

(一) 平成七年当時、太郎は被告△△の特注ソース等製造部門において製造作業に従事していた。当時の特注ソース等製造部門は三人体制であり、太郎は当初特注ソースを、同年六月からは合せ酢を担当していた。特注ソースの担当は二名であり、合せ酢の担当は一名であったが、それは一応の振り分けであり、特注ソース等製造部門の担当者三名は互いに協力し合って作業に従事していた。

(二) 作業時間は日々の受注量に応じて異なっていたが、平均して一日八ないし一〇時間程度であった。ただし、製造作業修了後にパッケージ業務が控えているため、作業の開始時刻は早く、午前六時から作業を始めることが多く、午前五時から開始しなければならないこともあった。早出作業については、三名がローテーションを組んで回していた。

2  太郎の作業環境

太郎が作業を行っていた本件作業所は、釜を蒸気により加熱をしていたので、外気より摂氏五度程度高い温度(夏場では四〇度前後)となっていたが、平成七年当時、本件作業所には温度計や湿度計は設置されておらず、作業場の温度や湿度について継続的に計測されたことはなかった。作業場には四基の換気扇が設置されていたが、食品衛生管理の点から窓は製造作業中は閉められていることが多かった。本件作業所にはスポットクーラー一基が設置され、二本の蛇腹ホースで送風されていたが、吹出し口の位置について作業員三名で協議し、風によって粉塵等が舞う恐れがあったことから、作業員のいる位置から外していたため作業員にとり冷房効果はほとんどなかった。なお、本件事故後の平成八年九月二五日、作業場には一〇馬力のクーラー六台が設置されている。

また、酢やアルコール等の材料を用いての製造作業であったことから、刺激臭の強い環境でもあった。

平成七年当時、作業場と同じ四階には、クーラーが設置された事務所兼休憩室が設けられており、作業員は作業の合間に自由に休憩室で休息をとることができ、休憩室には冷水器、いわゆるスポーツドリンクが備えられており、作業員はそれらを利用することができた。

3  太郎の平成七年七月ないし同年九月の出社、退社時刻など

太郎の平成七年七月ないし同年九月の被告△△における出社時刻、退社時刻、始業時刻、終業時刻については、同被告△△の就業時間記録及びタイムカードに別紙一のとおり記載されている(なお、別表一記載中の早出時間数は午前八時以前に就業した時間数であり、残業時間数は午後五時以降に就業した時間数であって、そのうちマイナスとなっているものは、午後五時以前に終業した場合を意味する。また、時間外労働時間数は早出時間数に残業時間数を加えたものである。)。その結果は次のとおりである。

(一) 平成七年七月

(1) 就労日数 二一日

(2) 就業時間合計 一九二時間三〇分(平均約九時間一〇分)

(3) 在社時間合計 二二七時間二五分(平均約一〇時間四九分)

(二) 平成七年八月

(1) 就労日数 二三日

(2) 就業時間合計 二二〇時間三〇分(平均約九時間三五分)

八日に通院のため作業を中断していた時間についても就業時間数に加えて算出している。

(3) 在社時間合計 二五九時間三二分(平均一一時間一七分)

(三) 平成七年九月(ただし、二九日まで)

(1) 就労日数 二二日

(2) 就業時間合計 二一八時間三〇分(平均約九時間五六分)

二日の工場研修(七時間三〇分)、一七日の大和祭参加(八時間)についてもそれぞれ就業時間数に加えて算出している。また、一三日に通院のため作業を中断していた時間についても同様に扱っている。

(3) 在社時間合計 二五七時間五三分(平均約一一時間四三分)

在社時間については、タイムカードによる記録が二〇日をもって中止されたため、二一日以降については入場時刻及び退社時刻は明らかでないが、就業時間数に一日当たり一時間を加えて算出している(大和祭参加のため出勤扱いになっている一七日については九時間として算出している。)。

4  太郎の勤務状況等

(一) 平成七年七月以前の勤務状況等

(1) 平成五年一一月下旬、太郎は腰を痛めて奥田整形外科医院において二週間の安静加療を要する「急性腰痛症、腰椎椎間板ヘルニア」の診断を受け、二日間会社を欠勤したことがあるが、他には業務内外を問わず休暇を必要とするような疾病に罹患したことはなかった。

(2) このころの太郎は、仕事自体は厳しい作業であるとは考えていたが、他方でやり甲斐を感じて仕事に励んでおり、業務内容に関する不満を洩らすようなことはなかった。

(二) 平成七年七、八月の勤務状況等

(1) 仕事量の増加

被告△△は八月一三日からお盆休みに入ることから、その直前の八月四日から同月一〇日ころにかけて、製造量、製造品目数ともに増加し、太郎ら従業員にとっては忙しい日々が続いていた。勤務時間も長くなり、その詳細は別紙一記載のとおりであるが、在社時間は、例えば、八月七日は午前五時一六分から午後一〇時四〇分まで、八月八月は午前四時五四分から午後六時五〇分まで、八月九日は午前六時二五分から午後七時五四分までであり、相当に厳しい労働内容であったことが窺える。

(2) 作業環境

平成七年七月から同年九月の広島地方の気温、湿度は別紙二のとおりであるが、同年は連日猛暑が続き、全国で同年七、八月に熱中症により死亡するという労働災害が多発し、翌平成八年五月に労働省労働基準局長が都道府県労働基準局長に宛てて熱中症の予防について通達を出すほどであった。本件作業所は高温になりやすい環境であるため、猛暑の影響もあって、八月七日には、特注ソースを担当していた伊藤賢司が脱水症状で作業終了後計量室で倒れて救急車で運ばれ、太郎も八月八日に脱水症状を呈して体調を崩し、同日の作業を中断して医療法人社団岩本医院を受診している。岩本病院における太郎の主訴、診断結果、治療内容は次のとおりである。

(主訴) 悪心、食欲不振、全身倦怠感

(他覚的所見) 心窩部軽度圧痛あり。検尿、血液検査は異常なし。

(傷病名) 胃炎、脱水症。

(治療) 五〇〇mlの点滴施行、五日分の内服薬(消化剤、胃腸保護剤など)を投与。

これに対して、小田係長が八月八日から同月一一日まで合せ酢製造の手伝いをしたが、脱水症状に対する対策としては、伊藤らに対して水分を十分とるように指示するにとどまり作業場の空冷設備の増設等作業環境の改善措置は取られなかった。

(3) 同僚の確執

平成七年七、八月当時、特注ソース等製造部門の担当者は特注ソースが伊藤、湯谷紀念生、合せ酢が太郎であったが、特注ソース等製造部門における責任者は特に決まっていなかった。ただし、製造についての経験、年齢の点から三人の中での事実上のリーダーは伊藤であり、新人の湯谷に対する指導は伊藤が主として行っていた。

湯谷にはケアレスミスが多く、作業が遅れたり、製品を作り直す必要が生じることも少なくなかった。伊藤は湯谷が失敗をするたびに作業に当たっての留意点等について説明・指導を繰り返したが、湯谷のケアレスミスは続いた。このようなことから、八月初旬と八月二〇日ころの二度にわたり、伊藤が湯谷の仕事に対する姿勢に腹を立て、暴行を加えるといったトラブルが発生した。

伊藤が湯谷に暴行を加えて暫く経過した後に被告らの管理者はその事実を知り、伊藤と湯谷とを同一職場に勤務させるのは不都合であるとして、伊藤を同一工場内ではあるが別の部署に異動させることとし、伊藤は九月七日限りで特注ソース等製造部門を離れた。

伊藤の湯谷に対する暴行の原因に関し、被告らは、湯谷は広島大学大学院を修了しており、本件ソース等製造作業のような単純業務を修得することが困難であるはずがないことを理由として、伊藤の湯谷に対する暴行は指導とは関係のない理不尽な暴力行為であると主張している。しかし、研究者的能力と単純作業を遺漏なく的確にこなすことのできる力とは相関するとは限らない。また、被告らの主張するとおりであるとすれば、伊藤は三名で共同作業をすべく配置された職場の仲間に対してさしたる原因もないのに暴行したことになるところ、そうであれば、伊藤の性格傾向に問題があるといわざるを得ないが、これを認めるべき証拠はなく、かえって、同人の証言内容、態度からすると、伊藤は正直かつ誠実な人柄であり、被告会社においても業務に真摯に取り組んできたことを窺うことができる。更には、特注ソース製造時に作成する特注製造日報には製造ミス等を記載する異常報告欄が存在するところ、伊藤が特注ソースの製造に従事していた平成七年八月には製造スタッフの過失が原因で再製造しなければならなくなったという記載は存在しないにもかかわらず、特注ソース製造担当の中心が湯谷となった九月八日以降になると、一三日、一四日、一八日、二八日と製造ミスの記載が続いている。なお、八月に製造失敗の記載がないということは湯谷がミスをしなかったということを意味するものではない。伊藤が湯谷の失敗をカバーして異常報告欄に記載するまでの事態には至らなかったことも少なくないからである(証人伊藤賢司の証言)。

よって、伊藤の湯谷に対する暴行原因についての被告らの主張は採用できない。

(三) 平成七年九月の勤務状況等

(1) 九月一日(金)

午前六時から作業が開始されているが、これは早出当番の伊藤によって行われた。太郎は午前六時四五分に出勤して午前七時一〇分から製造に従事し、午前一一時五分に同日の製造作業を終了している(分析合格は午前一一時四〇分)。

午後は、午後一時から同四〇分まで生産会議に出席した後、午後二時一〇分まで清掃・後片付けを行い、その後午後四時まで工場二階のパッケージ作業の補助等をした後、日報の作成等を行って、午後四時四五分に同日の作業を終了している。

(2) 九月二日(土)

工場研修

(3) 九月四日(月)

午前六時五〇分に出勤して午前七時から製造を開始し午前一一時一五分に午前中の製造を終了している(分析合格は午前一一時三五分)。

午後は、午後一時から製造を開始し、同二〇分ころにこの製造を終了している(分析合格は午後二時)。その後、午後二時三〇分ころから仕込み、砂糖上げの作業を午後三時二〇分まで行った後、清掃・後片付け、日報の作成等を行って、午後四時三〇分に同日の作業を終了している。

(4) 九月五日(火)

午前五時四六分に出勤した後、午前六時から特注ソースの手伝いをし、午前七時から合せ酢の製造を開始し、午前九時〇五分に同日の製造作業を終えている(分析合格は午前九時二〇分)。その後、一二時まで容器の清掃作業等を行うなどして午前中の作業を終了している。

午後は、午後一時から午後一時三〇分まで生産会議に出席し、砂糖上げ、計量等の各作業、清掃・後片付け等を行って、午後三時五五分に同日の作業を終了している。

(5) 九月六日(水)

午前六時五一分に出勤、午前七時五分から製造を開始し、午前一〇時一〇分に同日の製造作業を終えている(分析合格は午前一〇時二五分)。その後、午前一一時三〇分から正午まで補助作業を行って午前中の作業を終了している。

午後は、午後一時から同三〇分まで生産会議に出席した後、砂糖上げ、清掃・後片付け、日報の作成等を行って、午後四時三〇分に同日の作業を終了している。

(6) 九月七日(木)

午前六時五二分に出勤、午前七時一五分から製造を開始し午前八時五五分に同日の製造作業を終えている(分析合格は午前九時二〇分)。その後、午前九時三〇分から午前一一時五五分まで容器の運搬及び洗浄、砂糖上げ等の各作業を行って午前中の作業を終了している。

午後は、午後一時から午後四時まで特注ソースの補助を行った後、清掃・後片付け、日報の作成等を行って、午後五時に同日の作業を終了している。その後、午後五時から計量室において上松和洋に対して作業内容の説明を行い、午後七時三五分に工場を退出している。

なお、特注ソースを担当していた伊藤が被告○○の広島営業所(ただし、九月三〇日までは本件工場内の他の部署)に異動することになったため、同日をもって特注ソース等製造部門を離れ、翌日から上松和洋が特注ソース等製造部門に加わることになった。

(7) 九月八日(金)

午前五時四九分に出勤、午前六時から特注ソースの手伝いを行った後、午前七時二五分から製造を開始し、午前一一時二五分に同日の製造作業を終了している(分析合格は午前一一時四五分)。

午後は、午後一時から同四〇分まで生産会議に出席した後、合せ酢を入れた容器の搬出、原材料の計量、清掃・後片付け、日報の作成等を行って、午後四時五〇分に同日の作業を終了している(退出時刻は午後七時四四分)。

また、同日から、伊藤の代わりに上松が特注ソースに加わることになったため、太郎は随時特注ソースを見ながら作業を行っている。

(8) 九月一一日(月)

午前六時〇三分に出勤、午前六時二〇分から製造を開始して、午後も引き続き作業を行い、午後四時三〇分に製造を終えて、同日の製造作業を終了している(分析合格は午後四時四五分)。その後、原材料の準備、翌日の仕込み、清掃・後片付け等を行って、午後六時三〇分に同日の作業を終了している(ただし、退出時刻は午後七時五七分)。

この日、太郎は小田係長から同年一〇月一日から手詰め部門に異動になる旨の内示を受け、後任者への引継ぎのために自動ブレンディング装置の操作マニュアルを作成してほしいと依頼された。

(9) 九月一二日(火)

午前六時五〇分に出勤、午前七時一〇分から製造を開始し午前一一時二〇分に午前中の製造作業を終了している(分析合格は午前一一時四〇分)。

午後は、午後一時から同四〇分まで生産会議に出席した後、午後二時から製造を開始し午後五時に同日の製造作業を終了している(分析合格は午後五時二〇分)。また、この間の午後二時五〇分からは翌日のための仕込みを行っている。その後、甘酒用の米の準備、清掃・後片付け等を行って、午後六時五五分に同日の作業を終了している。

(10) 九月一三日(水)

午前五時五〇分に出勤、午前六時から製造を開始し午前一一時四五分に午前中の製造作業を終了している(分析合格は午前一二時)。この間、太郎が体調を崩し、医院(岩本医院)に行っていたため、午前九時三〇分ころから午前一一時ころまで作業が中断されている。医院での主訴、診断結果、治療内容については次のとおりである。

(主訴) 悪心、嘔吐二回

(他覚的所見) 心窩部軽度圧痛あり。検尿、血液検査は異常なし。

(傷病名) 胃炎、脱水症

(治療) 五〇〇mlの点滴施行

午後は、午後一時から製造を開始し午後七時に同日の製造作業を終了している(分析合格は午後七時二〇分)。また、この間、午後二時三〇分から特注ソースに属する甘酒製造の準備を行い、清掃・後片付け等を行って、午後八時に同日の作業を終了している。

この日、特注ソースでは製造時にタンクの上蓋を釜内に落下させるとの事故があった(製造担当者は湯谷)ため製品を没にして作り直した。

(11) 九月一四日(木)

午前七時〇八分出勤、午前七時四五分から製造を開始し午後二時に同日の製造作業を終了している(分析合格は午後二時二〇分)。この間、午前九時二〇分から原材料の準備を行い、午後零時二〇分から同四五分まで特注ソースのケチャップの製造を手伝っている。また、午後一時から同四五分までは生産会議に出席している。

製造作業終了後は、午後二時から午後三時四〇分まで砂糖上げ、合せ酢を充填した容器の出庫などを行った後昼食をとっている。その後は特注ソースの手伝い、清掃・後片付け、日報の作成等を行って、午後七時に同日の作業を終了している。

この日、特注ソースでは上松が材料を間違えて投入したため、ソースを没にして作り直すということがあった。

(12) 九月一七日(日)

被告△△の大和工場(広島県賀茂郡大和町)で大和祭が開催され、太郎は、同工場において大和祭の案内係に従事した(なお、八時間勤務の出勤扱いとなっている。)。

(13) 九月一八日(月)

午前六時〇八分出勤、午前六時三〇分から製造を開始し午後零時一〇分に午前中の製造作業を終了している(分析合格は午後一時)。この間、午前一〇時二〇分から充填容器の洗浄を行っている。

午後は、午後零時五五分から製造を開始し午後三時二〇分に同日の製造作業を終了している。その後、砂糖上げ、翌日の仕込み、清掃・後片付け、日報の作成等を行って午後六時に同日の作業を終了している。

この日、特注ソースでは湯谷が誤って水を入れ過ぎてしまったために、製品を没にして作り直すということがあった。

(14) 九月一九日(火)

午前六時〇二分に出勤、午前六時五五分から製造を開始し午後零時一五分に午前中の製造作業を終了している(分析合格は午後一時)。

午後は、午後一時五〇分から製造を開始し、午後二時に作業を終えた後(分析合格は午後二時一五分)、午後二時一〇分から翌日の仕込み、砂糖上げなどの作業を行い、それらの作業を午後三時三〇分に終えている。その後、清掃等を行って午後五時三〇分に同日の作業を終了している。合せ酢製造日報には午後三時三〇分から午後五時までに太郎が特注ソースの手伝いをした旨の記載があるのみであるが、特注製造日報には、太郎は午前六時から午後五時まで特注ソース製造を手伝ったとの記載がある。

(15) 九月二〇日(水)

午前六時四六分に出勤、この日最初の製造は午前六時からであったが、これは早出の特注ソース担当のいずれかが行い、太郎は午前七時から製造を開始し午前一一時三〇分に同日の製造作業を終了している(分析合格は午前一一時五〇分)。この間、充填容器の運搬、洗浄及び出荷を行っている。

午後は、午後一時から同三〇分まで生産会議に出席した後、砂糖上げ、清掃を午後三時まで行っている。その後、二時間のミーティングの後、後片付け、日報の作成等を行って同日の作業を終了している。

(16) 九月二一日(木)

この日からタイムカードが廃止されたため正確な出勤時刻は不明であり、以下の作業開始時刻等の記載は本人申告の就業時間記録に基づく。

午前六時三〇分に出勤し、午後零時一〇分に午前中の製造作業を終了している。

午後は、午後一時から砂糖上げの作業を行ったほか、二度にわたって計二時間、特注ソースの手伝いを行っている。また、午後三時から午後四時まで経営会議報告会にも出席している。同日の作業の終了したのは午後五時三〇分である。

(17) 九月二二日(金)

午後七時出勤、直ちに製造を開始し午前一〇時四〇分に午前中の製造作業を終了している(分析合格は午前一一時二〇分)。この間、充填容器の出荷、砂糖上げ等の作業も行っており、午前中の作業が終了したのは午後零時三〇分である。

午後は、午後一時から同三〇分まで生産会議に出席した後午後の製造を行った(分析合格は午後三時)ほか、午後五時まで約三時間特注ソースの手伝いを行って、午後五時三〇分に同日の作業を終了している。

(18) 九月二五日(月)

午前六時三〇分に出勤して直ちに製造を開始し午前一一時一〇分(分析合格は午前一一時四〇分)に同日の製造を終了している。午前九時一〇分以降の作業は特注ソース担当者も手伝っている。

午後は、午後一時から午後四時まで特注ソースの手伝いを行った後、原材料の準備などをし、午後五時に同日の作業を終了している。

なお、同日からアルバイトの佐々木宗信が合せ酢の製造の応援に加わったが、同人は特注ソースの手伝いも行っている。同人に特注ソース等の製造経験はなかった。

(19) 九月二六日(火)

午前六時に出勤、午前七時五分まで特注ソースの手伝いを行った後、午前七時一〇分から合せ酢の製造を開始し、午前一〇時五〇分に製造を終了した(分析合格は午前一一時一〇分)。その後、午前一一時一〇分から同五〇分まで特注ソースの手伝いを行って、午前中の作業を終了している。

午後は、午後一時から同三〇分まで生産会議に出席した後、特注ソースの手伝い、砂糖上げ等の作業を午後三時二〇分まで行っている。その後、午後五時まで小田係長から依頼を受けていた操作マニュアルの作成に従事して、午後五時三〇分に同日の作業を終了している。

(20) 九月二七日(水)

午前六時五〇分から製造を開始し午前一一時三〇分に同日の午前中の製造作業を終了している(分析合格は午後一時三〇分)。

午後は、午後一時から同三〇分まで生産会議に出席した後、午後一時四〇分から製造を開始し、午後二時四五分に終了している。(分析合格は午後三時)。佐々木宗信が午前中に製造した製品に洗い水を入れてしまったため、その再調整が必要となり、太郎が午後二時から午後三時までその調整作業を行っている。その後、原材料の準備、特注ソースの手伝い(甘酒)、清掃・後片付けを行って、午後六時に同日の作業を終了している。

(21) 九月二八日(木)

午前六時に出勤、午前六時三〇分から製造を開始し午前一一時五〇分に同日の製造作業を終了している(分析合格は午後一時一〇分)。ただし、午前八時二〇分から午前一〇時三〇分までは、佐々木勝則次長、小田係長と太郎との間で太郎の退職申出について話し合いが行われているため、合せ酢の製造作業は佐々木宗信を含めた他の三名のいずれかが行った。

同日の作業は午後六時に終了している。

この日、特注ソースでは製品に洗い水を混入させ、また、原材料の投入間違いもあって二種類の製品を没にしてしまっている。この日、太郎は午後六時過ぎまで業務に従事しているが、合せ酢製造日報には作業内容の記載がなく、どのような業務を行っていたか不明である。

(22) 九月二九日(金)

午前八時に出勤、午前八時二五分から製造を開始し、午前八時四五分にこれを完成して同日の製造作業を終了している(分析合格は午前九時)。この日製造された合せ酢は一品のみである。その後、充填容器の洗浄、特注ソースの手伝い(甘酒)を午後零時まで行って午前中の作業を終了している。

この日、太郎が作業を終了したのは午後六時であるが、合せ酢製造日報に記載がないため作業内容の詳細は不明である。

(23) 九月三〇日(土)

午前六時三〇分に出勤、午前六時四〇分から製造を開始し午前一〇時四〇分に午前中の製造作業を終了した(分析合格は午前一一時)。

午後零時一五分ころ、松浦清吾が昼食を誘ったところ、太郎は、先に行くように言い四階の作業所に残った。

その後、休憩時間が終了したのに太郎の姿が見当たらないことから作業所の者が不審に思って捜していて自殺を図った太郎を発見した。

5  太郎の職場内の同僚について

太郎が平成七年当時、特注班において作業に従事した同僚(佐々木宗信を除く。)の経歴等は次のとおりである。また、太郎の直属の上司は、小田係長であり、その上司が佐々木次長である。

(一) 伊藤賢司(昭和四一年五月一八日生まれ)

(1) 平成四年三月に広島大学生物生産学部を卒業した後、同年四月に被告○○に入社し、同年一〇月から同被告の製造課において、製造作業に従事した。その後、平成六年一〇月から平成七年九月七日まで被告△△の特注ソース等製造部門において作業に従事した。

(2) 伊藤は九月八日に特注ソース等製造部門から本件工場一階の検品作業所に異動した後においても、新たな体制で特注ソース等製造部門がスムースに動くとは思われなかったため、同月中旬ころ四階作業所に様子を見に行ったことがあるが、その際、小田係長から特注ソース等製造部門には関与しないようにとの注意を受けた。伊藤は、その後においても太郎に様子を尋ねたことがあるが、太郎は湯谷らが仕事を覚えてくれないと悩んでいた。九月下旬ころ、伊藤は太郎から「辞めたい」との話を聞いたため、小田係長や佐々木次長は現場の状況の深刻さが理解できていないと考え、被告ら会社の生産部門を統括する立場にある井山生産本部副本部長に対して直接、現在の人員体制では特注ソース等製造部門はやってゆけないので配慮するように伝えたことがある。これに対し、井山副本部長から具体的返答はされなかった。

(二) 渡邊康秀(昭和四五年八月一四日生まれ)

平成五年四月に被告○○に入社し、同年一〇月から同被告の製造課において製造作業に従事した。その後、平成六年一〇月から平成七年五月三一日まで被告△△の特注ソース等製造部門において作業に従事した。

(三) 湯谷紀念生(昭和四五年九月八日生まれ)

平成七年三月に広島大学大学院工学研究科(工業化学専攻)を修了した後、同年四月に被告○○に入社し、同年六月五日から被告△△の特注ソース等製造部門において作業に従事した。

(四) 上松和洋(昭和四三年五月九日生まれ)

昭和六二年三月に高校を卒業した後、同年四月に被告○○に入社し、平成五年九月まで主に営業部で業務に従事していた。その後、平成五年一〇月に被告△△に移り、本件工場三階で製品の充填作業に従事し、平成七年一〇月からは被告○○の松山営業所に異動になる予定であったが、伊藤賢司が同年九月七日をもって特注ソース等製造部門を離れることになったことに伴い、臨時的に同月八日から右部署で作業に従事することとなった。

6  平成七年九月初旬ころ以降における太郎の職場での言動とそれに対する被告らの対応

(一) 太郎は、平成七年九月二〇日ころ、本件工場の一階事務所において佐々木次長に対して「湯谷、上松に対する教え方が分からない」旨の悩みを述べた。

これに対して佐々木次長は「気にする必要はない。失敗しても作り直すことができる。」との趣旨を答えて太郎との話を終えた。

(二) その後、太郎は、平成七年九月二二日、小田係長に対して前記と同様のことを述べるとともに、「会社を辞めたい」旨を申し出たが、小田係長は同日佐々木次長とともに岐阜に出張に出かけることになっていたため、詳しい話はせず、連休明けの同月二五日に話を聞くことにした。

(三) 平成七年九月二五日、小田係長は太郎と面談し、会社を辞めたい具体的理由を聞いたが、太郎は「教え方がわからない」と述べるのみで、どのように困っているかに関する具体的説明はなかった。

小田係長は太郎に対し「一〇月からは手詰めに異動になるのだから、もう少し頑張ったらどうか。二人に対する指導については気にしなくてよい。今日から佐々木宗信君に特注ソース等製造部門に加わってもらう」旨を述べて、太郎の翻意を促したところ、太郎は「頑張ります」と返事し、その場は別れた。

(四) 平成七年九月二八日午前八時ころ、太郎から再度、小田係長に対して「会社を辞めたい」旨の申出があったので、佐々木次長が太郎と面談することになった。その際、太郎は「教えることがうまくできなく疲れた。明日からでも辞めたい」旨を述べたので、佐々木次長は同人に対し、「一〇月から手詰めに移るんだからどうして今辞める必要があるのか。辞めて今後どうするつもりなのか。もう少し頑張ってみてはどうか。」、「湯谷らに対する指導は気にしなくてよい。」との趣旨の助言をし、休暇をとることや営業の手伝いを行ってみることを提案し、太郎が「もう少し頑張ってみる。」との返答をしたため話合いを終えた。

(五) 太郎は、九月二〇日ころから会社の同僚等に対して「疲れた、辞めるかも知れない。ノイローゼかも知れない。」などと述べており、元気のない様子であった。

(六) 九月中旬ころ以降、太郎は同僚に自分の方から話しかけることがなくなり、挨拶を返すことも少なくなっており元気のなさが感じられていた。

太郎は高校時代にバドミントン部に入り、大学時代にも同部で活動しており、被告○○に入社した後もバドミントンチームに所属して週に数回は練習を行い試合にも参加していた。ところが、欠かさず出ていた練習を平成七年夏から休むようになり、同年九月には試合にも欠場するようになっていた。

(七) 当時、太郎が同僚に対して右のように洩らしていることを上司である小田係長や佐々木次長は把握しておらず、佐々木次長らが右の事実を知ったのは、事故発生の後、原告の要請により佐々木次長において太郎の同僚らから事情聴取した結果である。

7  平成七年八月、九月ころにおける太郎の家庭での状況

(一) 平成七年八月に入ってからの太郎の出勤、退勤時間の詳細は別紙一記載のとおりであり、本件工場内が高温であることに加え、八月四日ころから同月一一日ころまでの間は早朝六時ころから午後七時ころまでに至る作業が継続したため身体的疲労は著しかった。

(二) 太郎は八月八日に本件工場での作業中に体調不良となって医師の治療を受けたが、そのことを知った原告は太郎の体を気遣い、薬局で健康飲料を買い求めて持たせたり、眠っている間に疲労が回復するようにとの思いから磁気マットを購入してその上に眠らせるなどの配慮をしていた。

(三) 九月になって、太郎は原告に対して一〇月からは製品の充填部門である「手詰め」に異動することを原告に伝えたが、そのころから職場の人事配置に関する不満を口にするようになり、毎週のように買い入れていた漫画週刊誌も買うことがなくなり、高温多湿の職場で作業しているにもかかわらず風呂に入ることなく就寝する日も出てきた。

一〇月から「手詰め」に異動することについて、太郎は現在の仕事から解放されるとの意識は持っておらず、特注ソース等製造部門をできるものがいないので太郎が手伝わざるを得なくなり現在以上に忙しくなると考えていた。

(四) 九月一五、一六日には福岡の恋人を訪問する予定であったが疲れており微熱もあったために取り止め、恋人からの電話連絡にも以前のような元気な応対はしなくなっていた。

九月二二日、福岡から恋人が来広したが、以前であればゲームに興じたりカラオケで遊んだりしていたのに早々に帰宅した。また、同日夜、太郎は恋人に対して「最近眠れない」と訴えた。

(五) 太郎は、九月下旬になると、勤務先から帰宅するとソファに倒れ込むようにして休んだり、出勤前もソファに横になっていることが多くなった。これを見た原告が勤務を休ませようとすると、太郎は「行く、自分が行かんとソースができん。」と言い張って出勤した。

(六) 九月二八日、原告は太郎に神経科を受診させようとして病院に電話して初診の受付を尋ねたところ、翌二九日も初診患者ができるとの返事であったため、太郎に診察を受けさせることとした。

九月二八日、転勤者の送別会があったが、太郎は出勤時には出席しないと告げて家を出たけれども、結局参加し、午後一〇時ころ帰宅した。

翌二九日朝、原告は太郎を神経科で受診させるつもりであったが、太郎が元気そうに見えたので受診を口に出すことができず、太郎は通常どおり出勤した。

第四  争点に対する判断

一  争点1(自殺と業務との因果関係)について

1  身体的疲労とうつ病との関係

甲第二四、第二六号証、乙第八九号証によれば、次のことが認められる。

うつ病の誘因としては、種々のものがあり、病因論的見地からは身体因性、内因性、心因性に分類されるが、慢性的な疲労が自律神経失調症や抑うつ状態の誘因となることは、広く知られており、臨床的にも多く経験されているところであって、「疲憊うつ病」という疾患概念も存在する(疲憊うつ病は心因性うつ病に分類される。)。

2  太郎の心身の疲労について

(一) 身体的疲労について

前記認定事実からすると、被告△△の特注ソース等製造部門における業務は、午前五時、六時といった早朝から出勤しての作業であり、平成七年当時、太郎も早朝から出勤する業務であったこと、各々の作業自体の負担はそれほどではないものの、各作業は並行して、あるいは断続的に行われるために作業全体でみると密度の濃いものであること、平成七年八月の盆休み(八月四日から同月一一日ころ)には特注ソース等の製造量が増加し、おりからの熱暑に加えて作業が過密かつ長時間に及んだため、八月七日には同僚の伊藤が、翌八日には太郎がいずれも脱水症状で体調を崩して病院を受診していること、太郎は翌九月一三日にも同様の理由で体調を崩し、再度病院を受診していること、太郎が作業していた職場は夏場には四〇度を超えるほどの高温となり、体力を消耗しやすい作業環境にあったこと、平成七年の夏は猛暑が続き、作業環境は一層悪化していたことがいずれも認められ、これらのことからすれば、平成七年九月ころにおいては、太郎は日々の作業により慢性的な疲労状態にあったと推認することができる。

この点、被告らは平成七年九月には製造量も減り、製造作業は午前中に終了することが多く、一日の労働時間も八、九時間程度であって長時間労働であるとはいえない。また、休日出勤は九月一七日に大和祭のために出勤した一日だけであり、太郎は休日をほぼ確実に取得しており、太郎が慢性的疲労状態にあったということはできないと主張する。

確かに、前記認定のとおり、平成七年九月には、太郎担当の合せ酢の作業自体は、午前中あるいは午後の早い時間に終了することが多く、休日出勤(九月一七日の出勤は除く。)がなかったことは被告らの主張するとおりである。しかしながら、平成七年九月においても終業時間が正規の午後五時より前であることはほとんどなく、太郎が担当する製造作業が終了した後も翌日の段取り等の作業や特注ソース部門の手伝いをするなどしていたことが認められ、一日当たりの平均就業時間数は八月(平均九時間三五分)よりも九月(平均九時間五六分)の方が増加している。また、退社時刻(ただし、九月二一日以降は記録なし。)についても、午後七時、八時台になることも多く、一日当たりの平均在社時間は八月(平均一一時間一七分)よりも九月(平均一一時間四三分)の方が増加している。休日の取得についても平日における年次有給休暇の行使はなく、脱水症状を起こして病院を受診した八月八日でも午後四時二〇分まで製造作業に従事し、午後六時三〇分まで業務を行っており、同じく病院を受診した九月一三日も病院から午前一一時に帰った後、午後八時まで業務に従事しているのであり、これらの事実関係からすると、九月に合せ酢の製造量が減少していることや平均労働時間が著しく長いとはいえないとの事実は、平成七年九月当時、太郎が慢性的疲労状態にあったとの認定を左右するに足りるものではない。

よって、被告らの主張は採用できない。

(二) 精神的負担について

(1) 平成七年九月七日にそれまで特注ソースを湯谷とともに担当し、年齢、性格等からそれまで特注ソース等製造部門のリーダー的存在であった伊藤が他の部署に替わり、その後任として製造作業経験のない上松が配置された。そのため、特注ソース等製造部門においては経験の最も長い太郎がリーダーとしての役割を果たさなければならなくなった。しかし、上松は太郎より年齢、社員歴ともに長い初心者であり、湯谷は社員歴は太郎より短いものの年齢は上であって、かつ、従前はケアレスミスが多くそのために伊藤から二度も暴行を受けるというトラブルを生じさせた社員であり、この二人を指導してゆかなければならないと考えていた太郎が相当の精神的負担を感じていたことは容易に推認できるところである。

この点については、伊藤において、本件工場一階の検品作業所に異動した後においても、特注ソース等製造部門が新たな体制でスムースに進行するかどうかを心配して四階作業所の様子を見に行ったことがあるほか、被告○○本社工場の井山副本部長に対して特注ソース等製造部門は現体制で動かすことには無理があるとして人員配置を再検討するよう意見を述べていることからも窺われる。

(2) 右の点に関し被告らは、太郎は合せ酢の製造担当であり、湯谷と上松とは特注ソースを二人の責任において製造することになっているのであるから、特注ソースの製造に関して太郎が責任を感じる必要はない、特注ソースの製造にはさほどの技術を要せず、伊藤が離れた時には湯谷が特注ソースの製造技術を修得しており太郎が特注ソースの製造に関して不安を感じる理由はないと主張している。

しかし、前者については、特注ソース等製造部門は三名の職場であり、午前五時や六時から製造作業を開始しなければならないことから、三名でローテーションを組んで早出当番を決めていたこと、先に認定したとおり、太郎は現実に特注ソースの製造作業の進行状況を確認しながら自らが担当している合せ酢の製造作業を行い、あるいは自らの都合がつく限り特注ソースの製造を手伝っている事実があることからして、被告らの主張を採用することはできない。次に、後者については、被告らの主張するとおりであれば、伊藤及び太郎は二人とも理由のない心配をしていることになるが、三人でチームを組んで協働作業をしていたうちの二人が他の一人の仕事ぶりについて理由のない心配をするとは通常は考えられない。

特注ソースにおける製造ミスでその製造日報上に明らかにされているものは以下のとおりである。すなわち、九月一三日にタンクの上蓋を釜内に落下させ、翌九月一四日には材料を誤投入し、九月一八日には水を入れ過ぎ、九月二八日には製品に洗い水を入れてしまったため、同日には原材料の投入を間違えるなどしたため、いずれも製品が没になりあるいは製品の再度の調整が必要になっており、特注ソースにおけるこのような失敗頻度はそれ以前に比較して相当に多いということができる(平成七年八月の特注製造日報には伊藤ら作業スタッフのミスが原因で作業が遅れたとか製品を再度製造しなければならなかったという記載はない。)。この事実からも伊藤の心配や太郎の心労は理由のあるものであったというべきである。なお、湯谷は九月一三日にタンクの上蓋を釜内に落としてしまった事故について自己の失敗ではなく上蓋の構造上の問題であると供述している。しかし、同人の供述によっても、同人が特注ソースを担当するようになった六月五日から九月一三日までの間に同一の釜を毎日のように使用しているにもかかわらず、それまでの間、上蓋が落下するとの事故が発生したことはないというのであるから、上蓋落下の主たる原因が湯谷の過失にあることは明らかである。

(3) 以上のとおりであり、太郎は自分は会社から期待されていると意識していたこともあって(原告本人尋問の結果)、伊藤が職場を替わった平成七年九月八日以降、経験の一番長い自分が特注ソース等製造部門を失敗のないように運営してゆかなければならないとの気持ちを強く持つようになったけれども、湯谷らは失敗を続け、かつ、失敗は自己の責任ではないといった対応をすることから、湯谷らに対してどうのような指導を行えば効果的であるかについて悩むことが多くなり、その精神的負担が増大していったものと推認することができる。

3  太郎のうつ病発病の有無及び程度

(一) 甲第二四ないし第二六号証、乙第八四号、第八九号証によれば、次のことが認められる。

(1) うつ病とは、抑うつ気分と病的悲哀を特徴とする気分(感情)障害の状態(うつ状態)であって、その主症状は抑うつ気分であり、その他に、不安、行動面の制止、思考の制止、自責感や卑小妄想、不眠・頭痛・食欲不振・性欲低下等の身体症状がみられる。

(2) 国際疾病分類第一〇版(ICD10)では、うつ病エピソードの基本的症状は、①抑うつ気分、②興味と喜びの喪失、③易疲労感の増大であり、他の一般的症状としては、集中力・注意力の減退、自己評価と自信の低下、罪責感と無価値観、将来に対する希望のない悲観的な見方、自傷あるいは自殺の観念や行為、睡眠障害、食欲不振があるとされている。

(3) うつ病エピソードは軽症、中等症及び重症に分類されるが、このうち軽症うつ病エピソード(前記基本的症状のうち二つ、かつ、一般的症状のうち二つに該当すること。エピソード全体の最小の持続期間は約二週間。ただし、いずれの症状も著しい程度であってはならない。)では、患者は、症状に悩まされて日常の仕事や社会的生活を続けるのにいくぶん困難を感じるが、完全に機能できなくなるまでのことはない。中等症うつ病エピソード(前記基本的症状のうち二つ、かつ、一般的症状のうち三つに該当。エピソード全体の最小の持続期間は約二週間)の患者は、社会的、職業的あるいは家族的な活動を続けていくことがかなり困難になる。

(二) 太郎の症状

(1) 太郎の場合、前記認定事実によれば、小田係長に対して辞意を伝えた九月二二日ころにおいては、前記基本的症状はいずれもその存在を肯定することができ、一般的症状のうち、ないしが存在していたというべきであるから、前記診断基準に照らせば、中等症うつ病エピソードの状態にあったことになる。

(2) 林道倫精神科神経科病院の南雲與志郎医師は、その意見書において、太郎の症状は、ICD10基準による中等症うつ病エピソードの診断基準を満たし、従来の診断名では反応性うつ病の状態にあったと診断している。

また、西落合診療所長で日本精神神経学会理事でもある松下昌雄医師も、その意見書において、太郎が自殺の直前まで、外見的には一見支障なく勤務していたことを根拠として、むしろ軽症うつ病エピソードに近いものであったとしているものの、診断としては、軽症又は中等症うつ病エピソードであったとしており、前記認定とほぼ同様の判断をしている。

(三) 以上によれば、太郎は平成七年九月二二日ころの時点において、ICD10診断基準にいう中等症うつ病エピソードの程度のうつ病を発病していたと認めることができる。

4  太郎がうつ病を発症した原因

(一) 太郎が平成七年九月当時、心身共に疲労していたことについては前記認定のとおりである。そして、太郎の家庭環境、太郎の婚約者との交際を含む交友関係、同人の個人生活等が同人をうつ病に罹患させたと合理的に推認できるような事情はこれを認めることができない。

これらのことからすると、太郎は、平成七年八月から九月にかけての悪環境の中での作業が続いたことにより、同年九月中旬ころには、慢性疲労の状態に至り、これに伊藤が他の部署へ配転替えになったことに伴う人的環境の変化及びそれに伴い、特注ソース等製造部門においては太郎の経験が他の二人に比較すると著しく長いことになり、その結果、少なくとも主観的には太郎は右部門のリーダーとして他の二人を指導してゆかなければならないとの責任を感じるに至ったにもかかわらず、湯谷らが期待どおりの働きをしてくれないことから、その打開策について思い悩んだ結果、うつ病に罹患したものと推認するのが相当である。

(三) 松下医師はその意見書において精神障害の発生には多因子的要因が複雑に絡んでいるとし、太郎の性格がメランコリー型性格(秩序を重んじ、誠実な真面目人間、融通がきかない)、執着性格の傾向が強いことを指摘し、太郎のうつ病は内因(生物学的要因)性うつ病の疑いと診断している。

太郎の性格については松下医師の指摘するような点が存在し、したがって、太郎がうつ病を発症するについては同人の性格が影響している可能性は否定できない。しかしながら、太郎には精神疾患の既往歴はなく、同人の家族に精神疾患の既往歴のある者がいることを認めるべき証拠はない(父親の死因が脳内出血であることは前述のとおりである。)。したがって、太郎の性格がうつ病発症の一因であるとしても、その大きな部分を占めるのは業務に起因する慢性的疲労並びに職場における人員配置の変更とこれに伴う精神的、身体的負荷の増大であるというべきであるから、うつ病発症の業務起因性はこれを肯定することができる。

5  太郎の自殺とうつ病罹患

(一) 甲第二四ないし第二六号証、乙第八四、第八九号証及び弁論の全趣旨によれば、次のことが認められる。

うつ病患者の自殺率はこれに罹患していない者と比較すると高く、それを基礎づける研究報告も多数存在する。また、自殺はうつ病が悪化するときあるいは逆に一応の達成、負担の軽減等により軽快に向かうときに起こりやすいとされている。

(二) 太郎がうつ病に罹患していたと認められる九月二二日ころ以降においても、太郎の気持ちの負担を軽減するような形、例えば、伊藤を特注ソース等製造部門に戻すとか、同部門の知識経験が太郎と同等又はそれ以上の者を新たに配置するといった対策は講じられなかった。そして、九月末日ころには湯谷らによる製造ミスが続いたため、太郎はますます自信を喪失し、症状を悪化・進展させたものとみることができる。

(三) 太郎の自殺はこのようなうつ病によるうつ状態の進行の中で衝動的、突発的にされたものと推認するのが相当であり、太郎の自由意思の介在を認めることはできない。

6  以上のとおりであり、太郎の被告△△での業務とうつ病発症との間及びうつ病と太郎の自殺との間にはいずれも相当因果関係があるというべきである。

二  争点2(安全配慮義務違反等の過失の有無)について

1  被告らの太郎に対する安全配慮義務の有無及びその内容

被告△△は雇用主として、被告○○は太郎に対して実質的な指揮命令権を有する者として、太郎に対して一般的に安全配慮義務を負っていると解されるが、その具体的内容については次のように解すべきである。すなわち、事業者は、その責務として労働安全衛生法に定める労働災害防止のための最低基準を遵守するだけでなく、快適な職場環境の実現と労働条件の改善を通じて職場における労働者の安全と健康を確保するための措置を講ずる義務を負っており(労働安全衛生法三条一項)、その講ずべき具体的措置については同法第四章、第六章、第七章及び第七章の二に規定されているところであるが、それらの規定に照らせば、事業者は労働者の心身両面における危険又は健康障害を防止することを目的として右措置を講ずべきことが求められているということができる。

したがって、事業者には労働環境を改善し、あるいは労働者の労働時間、勤務状況等を把握して労働者にとって長時間又は過酷な労働とならないように配慮するのみならず、労働者が労働に従事することによって受けるであろう心理面又は精神面への影響にも十分配慮し、それに対して適切な措置を講ずべき義務を負っていると解される。それらの措置は事業の規模、種類及び内容、作業態様(単独作業か共同作業か)等により異なるものであるから、右の諸事情を考慮した上で個別に判断すべきである。

2  被告らの安全配慮義務違反について

(一) 太郎が自殺するに至ったのは、太郎の業務が早朝からの出勤を必要とするもので、時に過密かつ長時間の労働となるものであり、その作業環境が高温であるために、夏期においては身体的な慢性的疲労状態に陥りやすい業態であったことに加えて、平成七年の夏は特に猛暑が続いたことによって平成七年九月ころには身体的疲労の蓄積が頂点に達していたところ、伊藤の配転替えに伴う人的環境の悪化及び責任の程度が客観的にみても重くなったためうつ病に罹患し、それが進展・悪化したことによるものである。

(二) 被告らの安全配慮義務違反の過失の有無

(1)  平成七年夏における本件作業所の作業環境は劣悪であり、作業員が身体的慢性的疲労の状態を生じやすくなっており、被告らはこれを認識することが可能であったこと。

本件作業所内の温度は外気温より摂氏五度程度高くなり、平成七年七月から同年九月までの広島地方における気温は別紙二記載のとおりである。したがって、平成七年七月下旬から同年八月下旬までの約一か月間は本件作業所の室温は摂氏四〇度前後であったことになる。確かに、本件作業所内には休憩室がありそこにはクーラーや給水設備はあったけれども、特注ソース等の製造作業は一定時間ごとに休憩を取ることのできる作業ではないから、右設備があることによる作業員の負担軽減を大きくみることはできない。現実に、八月七日には伊藤が倒れて救急車で病院に搬送され、翌八日には太郎が脱水症状を呈して勤務時間中に病院を受診している。そして、本件作業所が右のような環境であることは被告らは十分に理解していた。

(2)  湯谷にはケアレスミスが多く、そのような中で特注ソース等製造部門のリーダー的存在であった伊藤が配転されたため、次のリーダー役となる太郎の心身の負担が増大したが、これも被告らは予見することが可能であったこと。

①  伊藤は湯谷に対して平成七年八月初旬及び同月二〇日ころの二度にわたり暴行を加えている。その原因が湯谷の業務上の失敗の多さにあったことは先に認定したとおりである。三人で協働作業しているうちのリーダー的存在の者が他の者に業務上の理由で暴行を加えるといった異常な事実が判明したのであるから、佐々木次長ら伊藤の上司は、事件の原因経過を詳細に究明して、本件であれば湯谷を特注ソース等製造部門から外すことを検討すべきであったにもかかわらず、佐々木次長らは単に伊藤と湯谷とを同一職場に置くことができないといった判断を行ったのみであり、その結果、伊藤を特注ソース等製造部門から同一工場内の他の部署に異動させ、その後任には特注ソース等製造部門については全く経験がなく、しかも、約一か月後の一〇月一日には営業職として外勤業務に従事することが決定していた上松を配置した。この人事配置の結果、太郎は自らが直接担当している合せ酢製造業務に加え、九月七日以前に伊藤が特注ソースにおいて果たしていた湯谷に対する指導監督をも行わなければならなくなったと考えられる。このことは、平成七年九月八日の合せ酢製造日報に「随時、特注を見ながら作業」との記載があることからも窺われる。

②  伊藤は、自分が離れた後の特注ソース等製造部門の運営が心配であったため九月中旬ころに本件作業所の様子を見に行って小田係長に会っているし、太郎から「辞めたい。」との話を聞いた九月下旬ころには、被告らの生産部門の総責任者に対して本件作業所の事態が深刻である旨を伝えている。

③  以上の事情からすると、伊藤が特注ソース等製造部門から外れたことによって太郎の心身の負担が増大するであろうことは、その上司である佐々木次長らにおいて十分に予測できることであり、また、その負担が右に述べた製造過程におけるケアレスミスの予防・発見というものである以上、アルバイト従業員で特注ソース等製造経験のない佐々木宗信を応援に出したとしても太郎の負担減少につながるものではなく、負担増加をきたす可能性もあると考えられる。

(3)  九月二〇日以降において太郎が小田係長や佐々木次長に対して申し出た内容は一般的には理解し難い内容であり、この時点で佐々木次長らは太郎の心身の変調を疑い、同僚や家族に対して太郎の日常の言動を調査して然るべき対応をすべきであったこと。

①  太郎は上司である佐々木次長及び小田係長に対して九月二〇日以降何度も湯谷らに対する教え方が分からないと訴えている。また、佐々木次長及び小田係長に対して「辞めたい」旨を伝えている。特に九月二八日には太郎と佐々木次長及び小田係長とで約二時間にわたって太郎の辞意についての話合いが行われている。これらの機会において太郎が訴えたことは具体性、合理性のあるものではなく、一〇月一日からは特注ソース等製造部門を離れることが決定しているにもかかわらず、佐々木次長らの「特注ソースの失敗は太郎の責任ではない。」「教えるひつようはない。」「辞めてどうするのか。」「休んでもよい。」「営業の手伝いに出てもよい。」との説得に対して「教え方が分からない。」「辞めたい。」と繰り返すのみであった。

②  太郎のこのような応答は通常では考え難いことであり、湯谷が業務上の失敗を繰り返すことから伊藤が湯谷に対して二度にわたって暴行を加えるといった事実があり、伊藤において、自分が去った後の特注ソース等製造部門がスムースに回転することは困難であると考えて本件作業所の様子を見にゆき、あるいは井山副本部長に対して善処するよう進言している。佐々木次長らは、伊藤らの上司としてその経緯も承知し、あるいは知りうる立場にあったのであるし、本件作業所の夏場における作業環境が過酷なものであることは分かっていたのであるから、太郎の心身の故障を疑い、同僚や家族に対して太郎の勤務時間内や家庭内における言動、状況について事情を聴取すべき義務があったものというべきである。

③  そして、佐々木次長らにおいて右の調査を行っていれば、太郎が職場の同僚に対して「ノイローゼかも知れない。」と洩らしており、様子も暗い感じに変化してきていること、家庭においては著しく疲れた様子であり、原告が会社を休むよう勧めても「ソースができない。」などと述べて無理に出勤していること、原告は太郎の心の病を疑って神経科を受診させることを考えていることが判明したはずである。そうすれば、被告らにおいて太郎を直ちに特注ソース等製造部門から外し、あるいは医師の治療を受けさせるなどの適宜の措置をとることができ、本件事故の発生はこれを防止することができたと考えられる。

(4)  以上のとおり、被告らはそれぞれに要求された安全配慮義務を怠った過失により、労働契約上の債務不履行責任(民法四一五条)及び不法行為責任(同法七〇九条、七一五条、七一九条)を負っており、太郎が被った損害について損害を賠償する義務があるというべきである。

なお、被告らの債務関係については、両被告の関係、本件債務の性質に照らせば、不真正連帯債務の関係にあると解するのが相当である。

三  争点3(損害額)について

1  太郎の逸失利益

金七七三一万二二三五円

(一) 甲第三四ないし第四七、第六八号証によれば、太郎の死亡前一年間(平成六年九月一日から平成七年八月三一日まで)の年収は、少なくとも金三六〇万一九一三円であると認められる(平成六年九月分及び同年一〇月分の給与額は明らかではないが、平成六年一一月から平成七年八月までの平均給与額程度の収入はあったと認められる。)。

(二) 右の収入額は大学を卒業して入社して約二年を経過した者の収入としては、賃金センサス平成七年第一巻第一表大学卒二〇歳から二四歳までの平均年収を越えるものであり、太郎が勤務していた被告○○は広島地方における有力企業であることからすると、太郎は今後六七歳になるまでの四三年間、産業計、大学卒、男子労働者の全年齢平均賃金である年間金六七七万八九〇〇円の収入を見込むことができたと認められる。

(三) 太郎は死亡当時独身であったものの、父親が既に亡くなり、同人が原告を支える立場にあったこと、結婚を約束した女性がいたことからすれば、生活費として三五%を控除し、ライプニッツ方式により、年五分の中間利息を控除して、太郎の逸失利益の現在額を算定すると、次の計算式により、右金額となる(一円未満切り捨て)。

677万8900円×(1−0.35)×17.5459=7731万2235円

2  太郎の慰謝料

金二三〇〇万円

太郎は死亡当時前記1のような立場にあったこと、太郎が被告△△における業務に没頭した結果、うつ病に罹患して自殺するに至ったこと、その他本件における一切の諸事情を考慮すれば、太郎の死亡による慰謝料としては前記金額を認めるのが相当である。

3  原告の相続

太郎に妻子はなく、原告がその母親であることは当事者間に争いがない。

4  葬儀費用

金一三〇万円

本件における諸事情を考慮すれば、葬儀費用として一三〇万円を認めるのが相当であり、これを原告が支出したと認められる(弁論の全趣旨)。

5  小計

金一億〇一六一万二二三五円

6  過失相殺について

(一) 被告らは、太郎は自己の健康の維持・管理に努め、異常を感じた場合には進んで医療機関に受診し、自己の疾病に関し必要な治療を受けるべき義務(自己保健義務)を負っていたにもかかわらず、太郎がこれを怠ったためにうつ病に罹患し、自殺するに至ったのであり、これを斟酌して過失相殺をすべきであると主張する。

(二) 太郎がうつ病に罹患した後においては、疾病の性質からして、精神神経科を受診しなかったこと及び自殺に至ったことを太郎の過失と認めるのは相当でない。

過失があるかどうかについて次に問題となるのは、本件においてはうつ病発症の前段階として心身の慢性的疲労状態が存在したと考えられるところ、そのような状態に至るについて太郎の側にも何らかの原因があったと認められるかという点である。しかし、業務外において太郎に心身の慢性疲労を生じさせるような原因があったことを認めるに足りる証拠はない。また、業務上の問題については、佐々木次長らは、本件作業所の夏場における過酷な職場環境はこれを承知していたし、特注ソース等製造部門のスタッフに問題があるとの指摘は伊藤から受けており、平成七年八月にそれが原因で伊藤が湯谷に暴行したことは分かっていた。したがって、この観点からしても太郎の過失を肯定することは困難である。

なお、疾病の性質上、その発生には太郎の性格が一定限度で寄与しているであろうことは容易に推認できるところである。ただ、先に太郎の身上経歴において認定したとおり、太郎は少年時代、学生時代を通じて性格上の問題を周囲に感じさせることなく過ごして被告○○に入社しているのであり、したがって、太郎がうつ病を発症し易い性格要素を有していたとしても、それは通常の性格傾向の一種であるにすぎず、この点を太郎側の事情として損害賠償請求の減額事由とすることは相当でない。

(三) よって、被告らの過失相殺の主張は理由がない。

7  損益相殺

金五〇万〇〇二〇円

(一) 甲第三一号証の1ないし4によれば、本件について、平成九年一二月二二日、労働者災害補償保険法(以下「法」という。)に基づく遺族補償給付が決定し、平成九年一二月二五日、原告に対し、遺族特別支給一時金として三〇〇万円、葬祭料として五〇万〇〇二〇円がそれぞれ支給されたこと、今後支給予定の遺族補償年金は年額一一二万二一〇〇円(日額七三三四円)であることがいずれも認められる。

ところで、被害者が不法行為によって損害を被ると同時に、同一の原因によって利益を受ける場合には、損害と利益との間に同質性がある限り、公平の見地から、その利益の額を損害額から控除することによって損益相殺的な調整を図る必要があり、また、被害者が不法行為によって死亡し、その損害賠償請求権を取得した相続人が不法行為と同一の原因によって利益を受ける場合にも、右の損益相殺的な調整を図ることが必要なときがあり得る。ただし、不法行為に基づく損害賠償制度の目的からすると、被害者又はその相続人が取得した債権につき、右の損益相殺的な調整を図ることが許されるのは、当該債権が現実に履行された場合又はこれと同視し得る程度にその存続及び履行が確実であるということができる場合に限られる(最高裁平成五年三月二四日大法廷判決・民集四七巻四号三〇三九頁)。

(二) 本件の場合、法に基づく遺族補償年金(同法一六条の二以下)及び葬祭料(同法一七条)は業務災害による労働者及びその遺族の損害を填補する性質を有するものであるから、損害と利益との間に利益の同質性があるということができる(なお、前者については同法六四条に使用者の損害賠償義務の履行と年金給付との調整に関する規定が定められている。)。一方、遺族特別支給金は、法二三条一項二号、労働者災害補償保険特別支給金支給規制(昭和四九年労働省令第三〇号)一条、二条三号に基づき被災労働者の遺族に対して支給されるものであるが、その支給の趣旨目的からすると、これを損害額から控除することはできない(最高裁平成八年二月二三日第二小法廷判決・民集五〇巻二号二四九頁)。

(三) 原告(昭和一三年五月八日生まれ)が本訴口頭弁論終結時点(平成一二年三月三〇日)において遺族補償年金を現実に受領し、あるいは法六〇条に基づく遺族補償年金前払一時金を請求している可能性はあるけれども、これを認めるべき証拠はない。よって、遺族補償年金等を損益相殺の対象とすることはできない。

(四) したがって、法に基づく給付のうち損益相殺の対象となるのは葬祭料金五〇万〇〇二〇円(損害額は金一三〇万円)のみとなる。

8  弁護士費用を除いた損害額

金一億〇一一一万二二一五円

9  弁護士費用

金一〇〇〇万円

本件事案の内容、審理経過、認容額等を総合勘案し、被告らの債務不履行と相当因果関係ある損害として被告らが負担すべき弁護士費用は前記金額をもって相当と認める。

第八 結論

以上のとおりであるから、原告の本件各請求は、被告らに対し連帯して金一億一一一一万二二一五円及びこれに対する太郎死亡の日の後である平成七年一〇月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、これらを認容し、その余は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用については民事訴訟法六一条、六五条一項本文、六四条を、仮執行の宣言について同法二五九条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官加藤誠 裁判官谷口安史 裁判官富岡貴美は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官加藤誠)

別紙一太郎の労働時間<省略>

別紙二平成七年七月から九月の気温、温度<省略>

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